2012年01月25日

誰を誇ろうとしているのか?

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。(ローマ4:5)

二種類の「不敬虔」の記事で引用したスポルジョンの不敬虔を指摘する説教を聞いた場合、「無神論・放縦タイプの不敬虔」に該当する人は、「神がいるならどうして理不尽な出来事が起こるのか!?」「不敬虔で何が悪い!?」風のリアクションをして、開き直ったように自らの不敬虔を誇る傾向があるようです。

他方、「宗教・倫理タイプの不敬虔」に該当する人が、不敬虔(宗教的偽善)を指摘する説教を聞いた場合は、以下の二通りのリアクションが返って来ることが多いように思います。(“無反応”というリアクションが最も多いかもしれませんが、それは省略します)

@「いいえ、私は習慣や義務感などからではなく、心から神様を愛し、神様のことを思って礼拝に参加しています!普段も聖書を読み、神様の戒めを尊んでいます!」

A「そのとおりです。今までの私は心の伴わない礼拝を捧げていました・・・。悔い改めます。これからは心を込めて礼拝を捧げ、ちゃんと聖書を読んで、神様に喜ばれるような生活をしていこうと思います。」


無神論・宗教タイプの不敬虔者が、自分の不敬虔を誇るのに対して、宗教・倫理タイプの不敬虔者は、自分の敬虔さを誇る傾向があるようです。@は自分の敬虔さをストレートに誇っているリアクション、Aのリアクションは一見謙虚に見えますが、自分の敬虔さを“決心”などによって改良していき、将来的には誇れるような状態にまで持っていきたいという意図が見え隠れしています。(関連記事:「皮の衣(2)」

@Aに共通しているのは、両者の目が「自分の敬虔さ」を見つめており、「自分の敬虔さ」を誇りにしようとする路線を歩んでいる、ということです。「自分の敬虔さ」を誇りにしようとしているがために、「不敬虔な者を義と認めてくださる方(=神)」(ローマ4:5)に心を向けることができないのです。

悔い改めとは「思いの変化」「思いの向きを変える」という意味で、それまで自分向きだった思いを、神を見つめる方向へと向け変えることです。Aの人は後悔や反省はしているかもしれませんが、悔い改めてはいません。

無神論・放縦タイプの不敬虔者は自分の不敬虔さ」を誇っているがために、他方、宗教・倫理タイプの不敬虔者は自分の敬虔さ」を誇ろうとしているがために「不敬虔な者を義と認めてくださる方(=神)」に心を向けることができない、という結果となっています。神ではなく、「自分」を誇ろうとしている点において両者は共通しています。悔い改めが必要なのはこの点です。

クリスチャンになるとは、「自分の不敬虔さ」や「自分の敬虔さ」を誇りにしている生き方から、「不敬虔な者を義と認めてくださる方(=神)」を誇る生き方へとシフトすることです。「自分の不敬虔さ」あるいは「自分の敬虔さ」を誇りにしようとしている限り、神・キリスト・十字架・福音を誇ることはできません(ローマ5:11、ピリピ3:3、ガラテヤ6:14、ローマ1:16)。

それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。(ローマ3:27)

神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なもの(肉)を頼りにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。(ピリピ3:3)



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2012年01月22日

二種類の「不敬虔」

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。(ローマ4:5)

神が不敬虔な者を義とされるなら、皆さん、神はあなたを義とすることができるのです。あなたは不敬虔な部類に入りはしませんか。今の瞬間に悔い改めておられないなら、それが何よりもあなたの状態を示しているのです。

あなたは、今まで神なしで過ごして来ました。あなたは、敬虔ということと反対の生き方をしてきたのです。一言でいうならあなたは過去も現在も不敬虔なのです。おそらく、あなたは今まで安息日に礼拝の場所に出席したこともなく、神の日(聖日)、神の家(教会)、神の言葉(聖書)にむとんちゃくに過ごして来られたのでしょう。このことは、あなたが不敬虔であった証明です。

それ以上悲しいことに、あなたは神の存在さえ疑おうとして来たかもしれません。神が存在されるというしるしに満ちたこの美しい大地に住みながら、あなたは常に神の力と神の明らかな証拠に対して目を閉じて来たのです。あたかも神などないもののようにして生きて来たのです。

事実あなたは、自分自身に向かって、とにかく神など全然ないのだと、はっきり言いきれたらよいのにと、思っておられたかもしれません。おそらくあなたは、長年の間生活して来られ、その結果生活の仕方がすっかり組み立てられてしまっているので、あなたの生活のどこにも神の割り込む余地がなくなっているのでしょう。そのあなたに、「不敬虔」というレッテルが貼られたとしても、それは海に「海水」というレッテルを貼ったのと同じくらいに、あなたの実情を示していることになるでしょう。そうではないでしょうか。

もしかすると、あなたはこのような人とは別の種類の人であるかもしれません。外形上の宗教儀式には一つ残らずきちんと出席して来たが、そこには心が少しも伴なっていないので、あなたは不敬虔であった・・・・・こんな種類の人かもしれません。いくら神の民といっしょにいても、あなたは神ご自身に会われたことはないのです。聖歌隊に参加しても、心から神を賛美したことがなかったのです。

心の中に神に対する愛がないままに、あなたはこの世に生きて来たのです。その生活の中で、神の戒めを尊ばないで過ごしたのです。そうです。あなたもまさしく、福音(神は不敬虔な者を義と認めて下さるという福音)が送り届けられる人の部類に入りました。非常に不思議なことです。しかしとにかく幸いなことに、この福音はあなたに対して有効です。あなたにちょうど当てはまるのです。そうではありませんか。

もしあなたが常識のある人なら、あなたのような人のために神が備えて下さったこの明確な神の恵みを見て、自問されるに違いありません。「不敬虔な者を義と認める!それなら、なぜ、私が義とされないことがあるだろう。今すぐ義とされないだろうか」と。

C.H.スポルジョン

ただ恵みによって 新版 [単行本] / C・H・スポルジョン (著); 羽鳥 明 (翻訳); いのちのことば社 (刊)
ただ恵みによって 新版 [単行本] / C・H・スポルジョン (著); 羽鳥 明 (翻訳); ...

前回書いたように、人が「不敬虔な状態」にあるまさにその時に、神がその人を義と認めてくださるという救いが訪れるのであるが、「不敬虔」には大きく分けて二種類のタイプがあるようだ。

1.無神論・放縦タイプの不敬虔
2.宗教・倫理タイプの不敬虔


前者は、その名の通りのわかりやすいタイプの不敬虔、後者は宗教的な姿をとっているわかりにくいタイプの不敬虔である。

「無神論・放縦タイプの不敬虔」に当てはまっている人は、「クリスチャンというのは敬虔な人がなるものであって、自分のように不敬虔な者がクリスチャンになるのは無理だ」と思い込んでいるケースが多いようだ。

「宗教・倫理タイプの不敬虔」に該当する人は、真面目な人が多いと思う。聖書に書かれている高い倫理・道徳基準に共感し、「クリスチャンになって、キリスト教の教えによって自分の敬虔さを増し加えたい!」というような動機でキリスト教会の門を叩く人も多いようである。このような人は人間的に見てかなり敬虔であるように見える。

しかし、キリスト教の教えによって自分の敬虔さを磨き上げることが中心となっているので、「神は不敬虔な者を義と認める」という福音にはいつまで経っても無関心のままであったりする。イエス・キリストは“見習うべき道徳の模範”として捉えられていることも多い。宗教や教えは求めても、救い主を必要としないのである。

“自分の敬虔さを増し加える”という動機でキリスト教に関わっているこのような人は、「自分はクリスチャンである」と思っているかもしれないが、実際は福音によって救われる必要がある人である。悪を追求することだけでなく、自分の善を追及することもまた的外れである(創世記3:17、ローマ10:1〜3)。

人は、「教会やキリスト教と関わっていれば救われる」と考える傾向があるが、教会に通うこと、洗礼を受けること、キリスト教に好意的であること、キリスト教の儀式・習慣を守ること、善行等によっては人は救われない。宗教によって取り繕っているという不敬虔な現状を素直に認めて、「不敬虔な者を義と認めてさる方」に信頼すればよい。

「無神論・放縦タイプの不敬虔」であるにせよ、あるいは「宗教・倫理タイプの不敬虔」であるにせよ、クリスチャンになることは「自分は不敬虔な者」という現状を認識することから始まる。そして、不敬虔な現状の真っ只中で、神に義と認められてしまうという驚くべき救いを経験するのである。

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2012年01月15日

不敬虔な状態を改良すると、神の救いは降りて来れなくなる

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。(ローマ4:5)

皆さん、もしあなたが何の価値もなく、地獄にふさわしい人であるなら、あなたのような人のためにこそ、この福音が定められ、用意され、告げられるのです。神は不敬虔な者を義と認めて下さるのです。

失われた者、罪ある者である自分のためにこそ救いがあるのだということは、それに気づいた人にとっては、初めはとても驚くべきことに思われます。その人は、自分の悔いの気持ちも救いの一部であることを忘れて、救いは悔い改めた人に与えられるべきものだと考えるのです。

そして言います。「私はこうならなければならない。ああならなければならない」と。まさに、そのとおりです。救いの結果として、こうならなければならない、ああならなければならないことも当然出て来ますから。

しかし、救いは救われた結果出て来るものを一つも持ち合わせていないときに訪れるものです。救いは、実際その人が「不敬虔」という、露骨な、ひどい、卑劣でいやらしい言葉に当てはまる状態でいるとき、訪れるのです。神の福音が彼を義と認めるために来るとき、はっきり言って、その人の姿はこのようです。

だから私は、何一つ自分にはよいものがない――満足できる気持ちが一つもなく、自分を神に推薦するものは何もない――ことを恐れている人々にお薦めしたいのです。信じなさい。恵み深い神は、何一つ推薦できるものがなくても、その人をとらえて豊かに赦すことができます。そのようにしたいのです。その人がよいからではなく、神がよいお方だからです。

神は、豊かに赦す方です。イエス・キリストは、罪人を救うために来られました。赦しは、罪ある人のためなのです。自分の姿をごまかして、実際のあなたと違う人を作り上げようとしてはなりません。ありのままの状態で、不敬虔な者を義と認められる方の前に行きなさい。
C.H.スポルジョン

ただ恵みによって 新版 [単行本] / C・H・スポルジョン (著); 羽鳥 明 (翻訳); いのちのことば社 (刊)
ただ恵みによって 新版 [単行本] / C・H・スポルジョン (著); 羽鳥 明 (翻訳); ...

【不敬虔な状態を保存することの重要性】

神に「義と認められる」(=神に「一度も罪を犯したことのない者」とみなしてもらえること。信仰義認という。)という救いの恵みは、人が不敬虔な状態にあるときに訪れる。

「神に義と認められること」を飛行機、人の「不敬虔な状態」を空港にたとえることができるかもしれない。空を飛んでいる「神に義と認められる」という飛行機は「不敬虔な状態」という空港にのみ着陸することができる。

人が自分の不敬虔な状態を改善・改良しようとすることは、「神に義と認められる」という飛行機が着陸しようとしている空港の滑走路を封鎖し、飛行機が着陸できないようにすることである。「不敬虔な状態」がなければ、信仰による救いの恵みにあずかることはできない。

せっかく神に義と認められる「不敬虔」という条件を満たしているのにもかかわらず、「キリスト教」という宗教によって不敬虔を改良しようとすることによって、信仰による救いを受け取れずにいるという人は結構多いと思う。

また、クリスチャンが人を救いに導こうとする場合も、相手の「不敬虔な状態」を指摘して不敬虔を認めさせるところまではいっても、そこで「その不敬虔な状態の時に義と認められる!」という福音を語るのではなく、「今後は教会に行き、聖書を読んで祈り、敬虔な生き方をしていきましょう!」風のメッセージを語り、改善・改良路線の宗教に導いてしまうケースがあるようである。

この路線は人の生まれながらの敬虔さをキリスト教の教えによって磨きあげていく路線であり、結果的に「自分はそこそこ敬虔になったから、神に認められているに違いない」という勘違いが生じることになってしまう。「神の義を知らず、自分自身の義を立てる」(ローマ10:3)路線である。(関連記事:「皮の衣(1)」

この世の犯罪捜査には、「犯罪現場の保存」という原則があるそうである。これは「できる限り現場を犯罪の行われた際の状況のまま保存するように努め、現場における捜査が適確に行われるようにする」(犯罪捜査規範第86条)というものである。

これと同じように、キリストによる救いを受け取る場合にも「不敬虔な状態の保存」が重要となる。不敬虔な状態を改良しようとすべきではない。不敬虔な状態を保存するように努め、信仰による救い(信仰義認)のわざが適確に行われるようにする必要があるのだ。

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