2012年02月10日

霊的デスモア?(6)〜敵に学ぶ〜

これまで、デスモア(殺鼠剤)を週に一回のペースでしか食べに来なかったうちのネズミ・・・





ところが・・・






先日、初めて二日連続で、しかも大量のデスモアを“ドカ食い”した模様・・・手(チョキ)るんるん







この“連続ドカ食い”が致命傷となることを願う・・・キスマークぴかぴか(新しい)




ところで、「ネズミ対策豆知識」というサイトによると、ネズミの前歯は一生伸び続けるため、常に何か硬いものものをかじって前歯をすり減らす習性があるそうだ。もし硬いものをかじらないまま放置しておくと、伸びた前歯が口をふさいでしまい食べ物が口に入らなくなって餓死してしまうらしい。

つまり、食べることによって歯を削り落しているということか。なんだかヤスリで歯を研いでいたプロレスラーのフレッド・ブラッシーみたいだ・・・(汗)

フレッド・ブラッシー
ブラッシー.jpg

ただ、硬いもの食べることによって歯を削るネズミの習性は、クリスチャンである私も見習うべきかもしれない。聖書の中で神の言葉は「食物」「両刃の剣」「御霊の剣」「口の剣」などと呼ばれている。堅い食物(Tコリント3:2、ヘブル5:14)である御言葉を食べ続け、常に口の剣を研いでおく必要がありそうである。

ネズミは硬いものをかじっていないと伸びた歯で口が塞がれてしまい餓死するそうだが、これはクリスチャンも同じであろう。クリスチャンは御言葉を食べていなければ死んでしまう。また、御言葉を食べていなければ他の人に御言葉を語る口は塞がれてしまう。そして御言葉を語らなくなると今度は御言葉が自分に入って来なくなる・・・という悪循環を経験する。ネズミという敵にも見習うべき点があるようだ。



ただし・・・




常に何かをかじっていないと餓死してしまうからといって、毒エサであるデスモアまでかじってしまっている点は反面教師だが・・・


強力デスモア(固型) / アース製薬
強力デスモア(固型) / アース製薬

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2012年02月08日

「不敬虔な者」でなければ、クリスチャンにはなれない

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。(ローマ4:5)

神の救いは、救われる価値のない人のため、また救われるために何一つ備えのない人のためのものです。必ずそうあるべきなのです。このような宣言が聖書の中にあるということは、考えてみれば当然のことです。

なぜなら、皆さん、自分自身を義とすることができない人でなければ、義としてもらう必要はないではありませんか。もし読者の中に完全に正しい人がいるとすれば、その人は義とされる必要などありません。

あなたが、自分は義務を果たしている、天が恵みを与えるべきだと考えているなら、救い主とかあわれみとかをいったいどうされるのでしょうか。義とされるなどということに興味を持つでしょうか。きっとそのような人は、ここで、この本に飽きてしまうでしょう。この本はそのような人には全然興味を与えないに違いありませんから。

もしあなたがたのうちにこのような高ぶった気持ちの人がいるなら、私の言うことにもうしばらく耳を貸してください。あなたは今生きています。それと同じくらい確実に、あなたは滅びます。正しい人よ。自分のしたことをもって自分自身を正しいとする人よ。あなたは自分を偽っているか、それともだまされているのです。なぜなら聖書はうそを言うはずがなく、しかも明確に次のように言っているからです。

「義人はいない。ひとりもいない」(ローマ3:10)。

いずれにしろ、私は、自分を正しいとしている人々にもたらすべき福音は持ち合わせてはいません。そうです。福音のふの字もないのです。イエス・キリスト自身、正しい者を招くために来られたのではありません。ですから私も、イエスがされなかったことをしようとは思いません。

たとえ私があなたを招いたとしても、あなたは来ないでしょう。ですから私は、あなたを、そのような性格のままでいるあなたを招きません。いやむしろ、あなたの正しさというものが妄想にすぎないことが分かるまで、自分の正しさを見つめるようにあなたに命じます。あなたの義など、くもの糸の半分ほどの強さもありません。破ってしまいなさい。それから逃れなさい。偉い人よ。正しくない人だけが義とされる必要のある人です。このような人は神の審判の座の前で義とされるために、何かをしてもらわなければならないのです。

主は切なる求めだけをして下さるのです。最上の知恵は不必要なことはしません。イエスは決してむだなことはなさいません。現在正しい者を義とすることなど、神のなさるわざではありません。それは愚か者の仕事です。しかし、正しくない者を義とするということは、限りない愛とあわれみのわざです。不敬虔な者を義と認めること、この事こそ、神にふさわしい奇蹟です。

C.H.スポルジョン

ただ恵みによって 新版 [単行本] / C・H・スポルジョン (著); 羽鳥 明 (翻訳); いのちのことば社 (刊)
ただ恵みによって 新版 [単行本] / C・H・スポルジョン (著); 羽鳥 明 (翻訳); ...

【感想】

自分を正しいとしている人々に対するスポルジョンの言葉は厳しい。「自分を正しいとしている人にもたらすべき福音を私は持ち合わせていない」「福音のふの字もない」「イエスがされようとしなかったことを私はしようとはしない」と突っぱねている。そういえば、バプテスマのヨハネも洗礼を受けに来た偽善者に対しては厳しかった(マタイ2:7〜10)。

現在の教会では、スポルジョンのような門前払いをして“教会の大切なお客様”の気分を害するようなことは避けて、自分自身を義とし、自らの敬虔を誇っているような人々に対しても福音(らしきもの?)を語って、罪や偽善を指摘することはせずに「ただ信じるだけで救われ、クリスチャンになれます」と耳障りのよい部分だけを受け入れさせ、インスタントに「クリスチャン」に仕立て上げてしまうことが多いのではないだろうか。(関連記事:「聖霊による認罪」「信仰を持つことと信仰の公式を持つことは違う」 )

また、スポルジョンは自分を正しいとしている人々に対して、「たとえ私が(福音を語って)あなたを招いたとしても、あなたは来ないでしょう。」と言っている。自分自身を義としている者(=「自分は不敬虔な者」という認識を持っていない者)に福音を聞かせたとしても、そのような者は決して福音に関心を示すことはないとしている。“豚に真珠”というわけである(マタイ7:6)。福音を伝えるためには、“福音を聞かせるべきではない段階”をよくわきまえる必要があるようだ。

福音を受け入れて救われることは、マイナスの掛け算にたとえることができるかもしれない。

自分が罪深く不敬虔であることに心を痛めている者を−10点、自分の正しさや敬虔さをひそかに誇っている者を+10点、「神は不敬虔な者を義と認める」という福音を−10点とする。

自分が不敬虔な者であると認識している者(−10点)が福音(−10点)を受け入れると、

−10点×−10点=+100点

となり、100点満点(=神に義と認められる)という幸いを見る。

しかし、自分の正しさや敬虔さを誇っている者(+10)が福音(−10点)を受け入れるなら、

+10点×−10点=−100点

となり、最低の評価を見ることになってしまう。

自分の正しさや敬虔さを誇っている人は、自分がもともと持っている(と思い込んでいるにすぎないのだが)+10点の「正しさ」「敬虔さ」を財源として、それを+20、+30、+40...と増やしてくれるもの(宗教・修養・道徳・自己啓発等)であれば喜んで受け入れるが、もともとの+10点を無に帰させる福音(×−10点)は愚かであり、受け入れたくないのである(Tコリント1:18、ローマ9:31〜33)。

したがって、自分の正しさや敬虔さをひそかに誇り、それに固執している人は、自分の正しさや敬虔さが妄想にすぎないことがわかるまでは、福音を欲することはない。そもそもそのような人にとっては、聖書の福音が“福音(良い知らせ)”には聞こえないはずである。

人は自分の正しさ・敬虔さがプラスではなくマイナス状態であることを認識したときにはじめて、「不敬虔な者を義と認めてくださる方」(ローマ4:5)という福音が、自分にとっても“福音(良い知らせ)”に聞こえるようになる。そして、自分に聞こえてきた“良い知らせ”によってその人は救われるのである(ローマ10:17)。


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2012年02月03日

霊的デスモア?(5)〜わなの罠?〜

車で山道を走っていて坂道を登ろうとしたら・・・車(セダン)ダッシュ(走り出すさま)








積もった雪と道路の凍結でタイヤがスリップして・・・がく〜(落胆した顔)







車が坂道を登れないっ!むかっ(怒り)あせあせ(飛び散る汗)







タイヤはすべり続け、車は操縦不能になり・・・ふらふらあせあせ(飛び散る汗)







“坂道発進”の状態のまま動けなくなってしまった・・・あせあせ(飛び散る汗)(涙)






このピンチを抜け出そうと必死で操縦を試みたが・・・車(セダン)ちっ(怒った顔)ダッシュ(走り出すさま)







ハンドルが効かない状態で、車は坂道をすべり落ちていき・・・遊園地あせあせ(飛び散る汗)






結局、タイヤが道路脇の溝にハマって敗北が決定・・・(THE END)もうやだ〜(悲しい顔)失恋








↓ その時の私は、ちょうどこんな感じでした・・・
新 ねずみホイホイ / アース製薬
くー、ネズミにやってやろうと思っていたことが、自分の身に降りかかるとは・・・たらーっ(汗)




どうやら、エステル記のハマンのようにハマってしまったようだ・・・もうやだ〜(悲しい顔)

すると、彼の妻ゼレシュとすべての友人たちは、彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせ、あしたの朝、王に話して、モルデカイをそれにかけ、それから、王といっしょに喜んでその宴会においでなさい。」この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた。(エステル記5:14)

そのとき、王の前にいた宦官のひとりバルボナが言った。「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」すると王は命じた。「彼をそれにかけよ。」

こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった。(エステル記7:9〜10)


※タイヤが溝にハマッた私の車は、その後、周囲の方々の助けによって無事に助け出されました。(暖かいご協力をありがとうございましたm(__)m)

※凍結した道路・雪道の運転、“ハマン心”(悪巧み)にはくれぐれもお気をつけください(>_<)丿


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