2011年10月23日

“核兵器”の回顧録&「霊の戦い」との戦い・・・

↓ ピーター・ワグナーについての分析記事

「C.ピーター・ワグナーの回顧録を一読して」

記事中に「主よ、ピーターを御霊の核兵器として用いてください」というシンディ・ジェイコブスの「預言」が引用されていますが、

現代の使徒・預言者による改革、聖霊第三の波、後の雨運動の教え、過去主義(後千年王国説)、教会成長論、繁栄の福音、霊の戦い、地域を支配する悪霊、霊的地図、予言が外れる預言者、同性愛の預言者、個人預言、インナーヒーリング・・・等、

“核兵器”ピーター・ワグナーによって大量の“放射性物質”がキリスト教会に撒き散らされたのは間違いないでしょう。

記事では、「悔い改めや聖霊による罪定め、福音への応答の必要もない」安易な回心の経験が、彼の教会成長法則の主要な基礎となっていると分析していますが、上にあげた教えや方法論を見ると、確かに安易なものばかりのように思います。


↓ 家にピーター・ワグナーの本がまだ残っていた。古本屋でみかけて買った覚えがある。結婚を申し込んだ女性に「クリスチャンとしか結婚しない」と言われて、喜んでクリスチャンになったという証し(?)も書かれている。その他、「地域を支配する霊」「アルゼンチンの霊」などの項目もあり。
P1000324.JPG


以前、その筋のクリスチャンから「今度、いっしょに霊の戦いに行きませんか?」と誘われたことがあります・・・




神社や仏閣のある地域を行き巡り、悪霊を縛るというやつです・・・(汗)





霊の戦いに誘われた時、いったいどう言って断ればよいのでしょうか?





説明したり、議論するのも面倒だし・・・





あ、そうかひらめき





↓ 今度誘われた時は、無言でこのポーズをとってみよう・・・

きょひ.jpg

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2011年10月21日

キリストとキリスト教(13)〜聖書の教えは、「私たちがキリストの中にあること」を前提として語られている〜

1.すべての教理と教えはキリストご自身と関連がある

私たちの信仰にかかわる教理や教えは、すべてキリストご自身と関連がある
          ↓
キリストというお方と関係のない教理は存在しない
          ↓
キリストというお方がないなら、信仰もない
キリストというお方がないなら、語るべき教理もない
キリストというお方と関係を持たなければ、教理を得ることはできない
          ↓
聖書の中には「人がどのように生活すべきか」「人がどう振る舞うべきか」についての勧めや教えはあるが、それらはキリストというお方と切り離して単独で用いるものではない
          ↓
それらの勧め・教えは「私たちがキリストの中にある」というキリストとの結合を前提にして語られている
          ↓
例:エペソ4:29は「あなたはキリストと結合されたので、悪いことばをいっさい口から出してはいけません」の意味

2.すべての教理はキリストご自身から出ている

@信仰義認

しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰(別訳:キリスト・イエスにある信仰)によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰(キリストにある信仰)によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者はひとりもいないからです。(ガラテヤ2:16)

私たちが義とされるのは、私たちがキリストの中にあることによるのであり、人の行ないによるのではない
          ↓
人は、キリストに結合されさえすれば、義とされる

Aキリストとの共なる死

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰(神の御子の信仰)によっているのです。(ガラテヤ2:20)

私たちクリスチャンは、神によってキリストの中に入れられた(Tコリント1:30)
           ↓
キリストが十字架上で死なれた時、私たちもまた死んだ
           ↓
私たちが死んだのは、私たちがキリストの中に置かれたことによる
           ↓
私たちは「キリストとともに」死んだのであって、私たちはキリストから離れて単独で死ぬことはできない

B霊的祝福

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって(キリストの中で)、天にある霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(エペソ1:3)

すべての霊的祝福は「キリストの中で」私たちに与えられる
           ↓
キリストご自身がなければ、私たちが霊的祝福を受けることはない

C罪の赦し

この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。(コロサイ1:14)

罪の赦しは「御子のうちにあって」与えられる
           ↓
御子イエスがなければ、私たちが罪の赦しを得ることはない

D復活のいのち

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされた のなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(コロサイ3:1〜3)

私たちは「キリストともに」よみがえらされた
         ↓
キリストというお方があるので、私たちにもまた死から復活する命がある

3.キリストとの関係が先、教えの実行はその後 〜エペソ人への手紙の例〜

【エペソ人への手紙の構成】

エペソ1〜3章 神とキリストと私たちの関係について書かれている
       (私たちクリスチャンがキリストの中でどういう者とされているか)

エペソ4〜6章 私たちの生活や振る舞いについての勧め・教えが書かれている
       (キリストの中にある者は、どのように生活すべきか)

         ↓
キリストとの関係が先、教えの実行はその後
(※エペソ人への手紙以外の書簡にもこのパターンを見ることができる)

         ↓     
人はキリストと関係を持ってはじめて、教えや勧めを実行できる
         ↓
本来のキリスト教は、まず何かをするようにとあなたに勧めているのはなく、まずあなたがキリストと関係を持つようにと勧めている
・聖書は、人に対して「まずキリストと関係を持つように!」と勧めている

・キリストと関係を持ってはじめて、教えの実行がある

※キリストと関係を持つために必要なのは、十字架の福音を信じて受け入れること
関連記事:「神の国に入るための条件」


「キリストとキリスト教」シリーズはこれで終了です


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2011年10月19日

キリストとキリスト教(12)〜聖書の教理は、復活したキリストご自身に基づいている〜

ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。(Tコリント15:12〜14)

もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(Tコリント15:16〜17)


もし、キリストが死んだだけで復活させられなかったとしたら、彼の教え(教理)には命がなく、クリスチャンの信仰と宣教は実質のないものとなってしまう
              ↓
教え(教理)はキリストというお方に結び付いており、私たちの信仰のすべては復活したキリスト(パースン)に結び付いているということ

図 教理と復活.jpg
・聖書の教理は、復活したキリストご自身に結び付いている

・クリスチャンの信仰も、復活したキリストご自身に結び付いている

・キリストが復活しなかったのであれば、聖書の教えとクリスチャンの信仰は実質のないものとなる


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