2011年06月15日

私が“四次元の人”だった頃・・・

エシュコルさんのブログから
アフリカ東南部にあるマラウィ共和国で、ハロルド・キャンピングの偽予言が書かれたビラを配布し、市民の平和と安全を脅(おびや)かしたとして、執行猶予付き禁錮6箇月の判決が下った。

一体どの程度のクリスチャンと称される人々が、今回の偽予言に惑(まど)わされてしまったのかは知らないが、それ程信じた人は多くは無かったと思われる。

ところが、所謂(いわゆる)繁栄の神学と言われるものに関しては、以前の私と同じで案外これにハマッタ人、賛同した人達が多いのではなかろうか。以前のチョー・ヨンギなどと同じ、間違った事を言う筈(ハズ)が無いし、誤った道に進ませる訳が無いと、どこかで思っていたのではなかろうか。それだけでなく、むしろ聖書をないがしろにし、指導者である牧師や長老・執事の言う事、意思・思考まで、アーメンしてしまったのではなかろうか。

今回の偽予言と言い、バイブルコードと言い、本当に今の時代に、聖書を聖霊の導きによって、神の御意思を読み取り、聴き従いたいものだと、改めて思った次第。その為には自分の思考を一旦十字架の下に置く事をしなければならない事を、思わされる。

>所謂(いわゆる)繁栄の神学と言われるものに関しては、以前の私と同じで案外これにハマッタ人、賛同した人達が多いのではなかろうか。

はい、私もかなりハマっていました・・・

当時は何で気づかなかったのか!?あせあせ(飛び散る汗)

↓ 証拠写真・・・(汗)たらーっ(汗)
P1000302.JPG

チョー・ヨンギ 第四次元の危険

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2011年06月03日

霊的な信者が欺きから解放されるように祈る

現在の一つの大きな必要は、進んだ段階にある信者たちのために祈ることです。彼らが神聖なものを装うサタンの偽物から解放されるよう、祈る必要があるのです。

この人たちは「自分は神に明け渡している」と考えたため、悪霊どもに立場を与えてしまったのです。悪霊どもはこの立場を与えられたので、魂あるいは体にとどまることができ、多かれ少なかれ信者の体あるいは思いを支配することができます。

もし、祈りの戦士たちがこの線に沿って祈ろうとしても祈ることができないなら、彼ら自身についても悪霊が何らかの立場を得ている可能性があります。ですから、祈れるようになる前に、彼ら自身解放が必要かもしれません。

・・・・・今、「敵の何らかの罠にかかっているすべての信者が完全に解放されますように」と絶えず祈ろうではありませんか――なぜなら、進んだ段階にある人たちが解放されない限り、教会は勝利の中へと前進することができないからです。


【ひとこと】

霊的に進んだ段階にある信者は、他の信者たちのために「祈る」ことは多くても、他の信者たちから「祈られる」ことは少なくなってしまう傾向があるのではないでしょうか。

たとえば、キリスト教の集会では、ひとりの霊的に進んだ段階にある信者(牧師)に祈ってもらうために多くの信者たちが列をついて群がっているという光景を目にすることがあります。

霊的に進んだ段階にある信者が、弱い信者のために祈り、助言を与えること自体は良いことですが、そうこうしているうちに「祈る側」(=進んだ段階にある信者)と「祈ってもらう側」(=それ以外の信者)が階級のように分かれてしまうのです。

「いつも祈ってもらう側」の弱い信者たちの間には、「(霊的に進んだ段階にある)あの人なら大丈夫だろうから、あの人のために祈る必要はない」「私ごとき肉的クリスチャンが、霊的なあの人のために祈るなどおこがましい」という雰囲気が漂い、他方、「いつも祈る側」の進んだ段階にある信者は、弱い信者から祈ってもらうという視野を失っていきます。

自分より進歩していない信者から「サタンの偽物から守られるように祈ってもらう」というのは屈辱的・侮辱的なことである、とさえ考えてしまっているかもしれません。

こうしてクリスチャンの間に「いつも祈ってあげる側」と「いつも祈ってもらう側」、「いつも供給する側」と「いつも供給を受ける側」が固定されていき、教会から相互にいのちを供給し合う関係は失われ、供給は一方通行となります。

このような霊的一方通行が確立された中で、霊的に進んだ段階にある信者が“神聖なものを装うサタンの偽物”によって欺かれてしまった場合、霊的に進んだ信者の働きを通して、“神聖な偽り”は他の信者たちへと一方的に供給され続けることになり、結果的に集会全体が著しく欺かれてしまいます。

したがって、「霊的に進んだ段階にある信者=祈ってあげる側」「それ以外の信者=祈ってもらう側」が分かれてしまっている集会はすでに悪霊が足場を得ていると考えられます(マタイ13:31〜32)。「メッセージを語る側」と「メッセージを聞く側」が完全に分かれてしまっている場合も同様です。
なぜなら、進んだ段階にある人たちが解放されない限り、教会は勝利の中へと前進することができないからです。

教会を前進させようとする働きにおいて「進んだ段階にある人たちが他の多くの人々を解放に導く」という方向性を持った働きはとても盛んですが、「進んだ段階にある人たちを解放に導く」という視野は見失われがちです。

敵は、知らず知らずのうちにクリスチャンの間に確立された「霊的一方通行」という足場を通して教会を欺いているようです。残念ながら、教会には「進んだ段階にある人たちが他の多くの人々を偽りに導く」ということが起こり得ます(マタイ13:33、ガラテヤ5:9)。

教会が“神聖なものを装うサタンの偽物”による欺きから解放されるためには、この「霊的一方通行」の問題が解決されなければなりません。

「あの人は霊的なクリスチャンだから、私が祈らなくても大丈夫に違いない」とするのではなく、「「あの人は霊的なクリスチャンだからこそ、より巧妙に欺かれやすいので、私が祈らなければならない」とすべきです。

【類似のテーマを扱った記事】

「神の召しによる働き人だけが遣わされるように祈る(1)」
「神の召しによる働き人だけが遣わされるように祈る(2)」
「神の召しによる働き人だけが遣わされるように祈る(3)」

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