2011年05月27日

「祈りの時を変える黙想」限定復刊中!

オズワルド・チェンバーズ著「『祈りの時』を変える黙想」が限定復刊されているようです。

いのちのことば社 2011年限定復刊

私はこの本が絶版になっていた頃(2009年秋)、たまたまブックオフで古本を見つけて買いました。今でもときどき読んでいます。「いと高き方のもとに」と同じく、あるいはそれ以上に心を探られる内容です。

P1000074.JPG

最近この本を購入したあるクリスチャンは、「本の『はじめに』のメッセージに思わず『う〜っ』と唸らされた」と話していました。それを聞いた私は今回改めてその箇所を読んでみたのですが、私も思わず「う〜っ」と唸らされてしまいました。

「はじめに」のメッセージは、この本の方向性を示している内容だと思いますので、以下に引用します。
はじめに

クリスチャンのなすべき仕事は、だれの場合であっても、祈ることです。単純、明快です。ところが、ただ祈るだけで足りないのではないかとわたしたちは思ってしまいます。神のためになにか大切なことをしたい、神にとって大切な人間になりたい、と思うのです。なにかを建設したい。人々を動員したい。わたしの力を示したい。影響力を行使したい・・・。そういったことに比べると、祈りはいかにも小さいことと思われるのです。ほとんど目にもつかない、小さいことに思われてしまいます。

けれども、イエスはそうは言われませんでした。イエスにとって、祈りはすべてでした。特権であり、同時に義務でした。責任であり、しかも権利でした。

祈りを最後の手段と考える傾向が、わたしたちにはあります。しかしイエスはそれを「戦い」の第一線に置くように望まれました。ほかにどうすることもできないときに、わたしたちは祈ります。しかしイエスによれば、何をするよりも先に、まず祈るべきなのです。

大部分の人は、すぐに結果を見ることができるような何かをしたがります。神にとって最もふさわしい時に、神が解決してくださるのを、わたしたちは待ちたくありません。神にとって「ふさわしい時」というのが、わたしの考えるふさわしい時と、あまりにあわないことが多いからです。

そこで、わたしたちは神のお手伝いをしたがります。時には自分の祈りに自分で答えようとさえします。たくさんの人の目に神がよく映るようにすることができれば、もっと多くの人がクリスチャンになるのではないか、というようなことを考えます。そこで、神は祈りに答えてくださるということを証明して、神が寛大であられることを、人々に納得させようとします。神のイメージがもう少し立派なものになるよう手助けをすれば、もっとたくさんの人々を神の側に勝ち取ることができるのではないか。そして、神はそのことをわたしたちに期待していらっしゃる。そうではないか。

いいえ、そうではありません。神がわたしたちに期待していらっしゃるのは、祈ることです。いつでも祈り、そしてすべてについて祈るのです。喜びの時も、悲しみの時も、です。神について語るのではなく、神に向かって語りかけることを求めておられます。神のことを未信者に話すよりも、その前に彼らのことを神に語ってほしいと、神は思っておられます。

祈りは神がわたしたちに課しておられる日課ではありません。わたしたちのなすべき仕事です。なすべきただ一つの仕事です。祈りはわたしたちの聖なるわざです。単純で明白です。

オズワルド・チェンバーズ「『祈りの時』を変える黙想」序文より

なお、この限定復刊シリーズはすぐに品切れになることが予想されますので、早めのご注文・ご購入をおすすめします。

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2011年05月20日

ついに明日・・・(苦笑)



http://worldwide.familyradio.org/ja/

↑ 惑わされないようにしましょう・・・

イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私がそれだ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。(ルカ21:8)

このことによって生じるおもな惑わしとしては、

@5月21日携挙の教えをそのまま受け入れて混乱させられるタイプの惑わし

A5月21日携挙の教えが“予想通りに”外れるのを見て嫌気がさしたクリスチャンが、キリストの再臨・携挙・終末の預言自体を敬遠するようになり、クリスチャンの間で再臨や携挙、終末預言がタブー視される傾向を作り出すという惑わし

B5月21日携挙の教えが見事に外れるのを見た人々に「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。何事も創造の初めからのままではないか。」(Tペテロ3:4)と言わせ、聖書を文字通りに信じることをあざけるようにさせる惑わし


などがあると思います。@は教え自体を信じてしまう直接的な惑わし、ABは教え自体には惑わされなかったものの、予言が外れたことによって生み出された雰囲気に惑わされてしまうタイプの間接的な惑わしです。

「5月21日携挙」のような古典的な惑わしは、@タイプのように真正面から人々を惑わすためにあるのではなく、ABタイプのように間接的な惑わしを目的としているような気がします。そういう意味では、彼らの予想が外れた後からが惑わしの本番なのかもしれません。

昔、ゆうとぴあという漫才コンビのネタに、あえて笑えないギャグをかまして客をシーンとさせた後、「チクショー、ウケなかった〜」と言うことによって笑いをとる手法がありましたが、それと同じように、5月21日審判の教えも何も起こらなかった後、「結局起こらなかった〜」と言うことによって人々を“再臨・携挙・終末論アレルギー”へと惑わすことになるのかもしれません・・・

ゆうとぴあ(左・中)


というわけで、あさって以降(5月22日)はABタイプの惑わしが予想されるので、それらの間接的な惑わしにも注意していきたいと思います。

P.S ところで、 この教えを信じている人々は“最後の日”である今日はどのようにして過ごしているんでしょうか? 再臨待望集会?伝道?悔い改め?祈り?断食? そちらのほうが気になります・・・


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2011年05月13日

“恐ろしいことになってしまった”〜タイマーズ「メルトダウン」〜

タイマーズ「メルトダウン」


3月23日の記事のコメント欄より

「サマータイム・ブルース」→「メルトダウン」→「ベイビー!逃げるんだ」のメドレーのような状況にならないように祈りたいと思います(汗)。

http://www.youtube.com/watch?v=OXwN0KGqoiI

Posted by クマ郎 at 2011年03月23日 21:16

東電、1号機のメルトダウンを認める


実際にメルトダウンが起こってしまうと、国は「ベイビー(子供は)逃げるんだ!」とも言えなくなってしまうようです・・・

子ども20ミリシーベルト問題に対し医師会が声明

「被曝場」と化した学校・幼稚園

↓ もう笑うしかないのか・・・ふらふらあせあせ(飛び散る汗)失恋

「原発賛成音頭」


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