2010年12月29日

肉とは(2)〜「服従しない、喜ばせない、益をもたらさない」肉〜

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。(ヨハネ3:6)

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。(ローマ8:5〜8)

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。(ヨハネ6:63)


肉親から生まれ出た時、人はすでに「肉」です(ヨハネ3:6)。生まれた後で何かをすることによって徐々に「肉」になっていくのではありません。生まれた後でする行為は「肉から出たもの」であるにすぎません。人は肉的誕生のゆえに「肉」となりました(ヨハネ3:6)。堕落したアダムから生まれた「肉」は堕落しています。

聖書は「肉の思いは死である」(ローマ8:6)「肉の思いは神に対して反抗する」(ローマ8:7)「肉の思いは神の律法に服従できない」と言っています。また、「肉は何の益ももたらさない」(ヨハネ6:63)「肉にある者は神を喜ばせることができません。」(ローマ8:8)とも言っています。

すなわち、親から生まれた時点で、私はすでに「肉」です。そして、「肉である」私は肉に従って肉的なことを考えます(ローマ8:5)。私が持つ「肉の思い」は神(いのちの源)から切り離された思いであり(=死)、神に対して反抗します。どのようにして神に反抗するのかといえば、神の律法に服従しないことによってです。このような「肉」は神に対して何の益ももたらしません。

親から生まれた私=肉→肉の思いを持つ→神に反抗する→律法に服従しない

「肉」を木の幹とすれば、「肉の思い」は枝であり、「神の律法に服従しないこと」は実であるといえます。「肉」という悪い木が存在していれば、そこから自然に「肉の思い」という悪い枝が生えてきて、「神の律法に背く」という悪い実を結ばせます。「肉」という悪い木は、神に対して何の益ももたらしません。

したがって、人が神に反抗するためにこれから何か特別なことをしでかす必要はありません。聖書を破り捨てたり、クリスチャンに石を投げたり、大酒を飲んだり、デスメタルバンドを結成する必要はありません。ただ「親から生まれた」という条件を満たしていれば、その人はすでに「肉」であり、「神に対して反抗し」「神を喜ばせることができない」「何の益ももたらさない」者です。人は枝や実に注意を払いますが、神は悪い木である「肉」を見ておられます。

それは、次のように書かれているとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。神を求める者はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10〜12)

私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ2:3)

人が神に反抗するための条件=肉親から生まれた者であること

人が神を喜ばせないための条件=肉親から生まれた者であること

人が何の益ももたらさないための条件=肉親から生まれた者であること

※肉親に恨みがあるわけではありません(汗)
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
タグ:「肉」
web拍手 by FC2

2010年12月26日

“クリスマス”は御言葉に対する態度を暴露する

そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イエスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」(マタイ2:4〜6)

東方の博士たちからメシア誕生の知らせを聞いたヘロデ王は恐れ惑っていました(マタイ2:2)。ヘロデはキリストについて知ろうとして祭司長・学者たちを自分のもとに集めましたが、その動機はキリストを殺すためでした(マタイ2:12)。ヘロデはメシア到来の知らせを受け入れ、メシアがベツレヘムで生まれることについての御言葉(ミカ5:2)を信じていたにもかかわらず、なおも「自分の道」に固執し、それを改めようとはしませんでした。メシアの到来はヘロデの御言葉に対する態度を暴露しました。

一方、祭司長・学者たちはキリストがどこで生まれるかについての正確な聖書知識(ミカ5:2)を王に告げることができたにもかかわらず、東方の博士たちによって告げられたメシア誕生(初臨)の出来事には無関心であったようです。

聖書からキリストがベツレヘムで生まれることを知った東方の博士たちはキリストに会うためにベツレヘムに向かいましたが、祭司長・学者たちはキリストに会いに行こうとはしませんでした。民を指導する立場にある祭司長・学者たちもヘロデ王、エルサレムの人々と同様に、メシアの到来を歓迎してはいませんでした。

メシアの到来(初臨)は、祭司長・学者たちの御言葉に対する態度を暴露しました。彼らは聖書をよく学んで知ってはいても、聖書が証言しているイエスのところに行こうとはしませんでした(ヨハネ5:39〜40)。彼らはメシアの到来に備えることとは関係のないところで熱心に聖書を学んでいたようです。

この出来事は、メシアの再来(再臨)に備える私たちクリスチャンに対する警告でもあります。イエス初臨時のヘロデ王、エルサレムの人々、祭司長・学者たちの失敗は決して他人事ではありません。イエス初臨時に失敗したこれらの人々が、現在の私たちと比べて特別愚かな人々であったわけではありません。あの邪悪なヘロデ王ですら、メシア誕生の事実やメシアに関する聖書の御言葉を「ある程度は」受け入れていたのです。

クリスチャンは「王である祭司」(Tペテロ2:9)であり、「上にあるエルサレム」の人々です(ガラテヤ4:26)。試験日が来ることを想定しない受験勉強が的外れであるように、イエスの再臨を想定しない聖書の学びは的外れなものになってしまいます(ルカ12:40〜48、Tコリント15:32)。

もし私たちが「ヘロデ王」のような態度――「健全な教えに耳を貸そうとせず、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行く」(Uテモテ4:3〜4)――で御言葉に接しているなら、

もし私たちが「エルサレムの人々」のような態度――「終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。』」(Uペテロ3:3〜4)――で御言葉に接しているなら、

もし私たちが「祭司長・学者たち」のような態度――「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書がわたし(イエス)について証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(ヨハネ5:39〜40)――で御言葉に接しているなら、

イエスの再臨の時、私たちも彼らと同じように恐れ惑い、彼らと同じような態度をとってしまうことになるでしょう。イエスの到来(再臨)は、私たちの御言葉に対するそれまでの態度を暴露します。

あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。(Tヨハネ2:27〜28)
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
web拍手 by FC2
posted by クマ郎 | Comment(0) | TrackBack(0) | ひとこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

クリスマスということで・・・

急遽クリスマス風のデザインに切り替えましたが、右サイドバーの背景色がうまく表示されずサイドバーの文字が読みにくくなってしまっております・・・(すぐに元に戻します)



ブライアン・アダムスの「クリスマスタイム」。この映像はバカチンバチカンで行なわれたコンサートのようです。ブライアンの背後に見える金八金ピカのイエス像や最後に映る宗教的な客席の様子には違和感を覚えましたが(汗)、この曲はクリスマスソングの名曲だと思います。

バチカン市国とは
馬鹿ちんとは‐博多弁weblio辞書
Yahoo!知恵袋「バカチン王国ってどこにあるんですか?」

Holy~ザ・ベスト・オブ・ヴァチカン・クリスマスコンサート~ / オムニバス, ランディ・クロフォード&フェリシア・ウェザース, ディオンヌ・ワーウィック&ピエロ・マラス, イ・プー, ランディ・クロフォード, ブライアン・アダムス, ネック&リトル・シンガーズ, サラ・ブライトマン, フィリッパ・ジョルダーノ, マンハッタン・トランスファー, ジェニファー・ペイジ (CD - 2002)
Holy~ザ・ベスト・オブ・ヴァチカン・クリスマスコンサート~ / オムニバス, ランディ・ク...
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
web拍手 by FC2
posted by クマ郎 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他 あいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
タグクラウド
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。

クリスチャンウェブリング
前へ | ホーム | ランダム | 次へ