2010年10月31日

無慈悲なしもべのたとえ

※パントンによる理解
参考:http://www.geocities.jp/ogcclib/book26warning.html

【マタイ18章 〜無慈悲なしもべのたとえ〜】

そのとき、ペテロがもととに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。」

イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。このことから天の御国は、地上の王にたとえることができます。

王はそのしもべたちと清算したいと思った。清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。

それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。

ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。

彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。しかし、彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。

そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私があわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。


あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」(マタイ18:21〜35)

<このたとえは、もし赦さないなら「ペテロに」何が起きるかの啓示である>

このたとえは、ペテロの「兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。」(マタイ18:21)の質問に対する返答として語られたものである
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このたとえは、イエスの「七度を七十倍するまで赦しなさい」(マタイ18:22)という回答を強めるものである
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兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか」(マタイ18:21)
「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間(=しもべ仲間)をあわれんでやるべきではないか」(マタイ18:33)

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このたとえは、教会内の紛争、兄弟間(クリスチャン同士)の争い、使徒の間の争いについてのものである(マタイ18:15〜17、ルカ17:3〜4、マルコ3:35)
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「こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」(マタイ18:34〜35)
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このたとえは、未信者の赦さない心がもたらす結果について啓示したものではなく、クリスチャンの赦さない心がもたらす結果についての警告である

神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。(マルコ3:35)

もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら赦してやりなさい。(ルカ17:3〜4)

もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。(マタイ18:15〜17)


<“無慈悲なしもべ”は再生されていた>

それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言った。しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。(マタイ18:26〜27)

このしもべは王に赦されている(マタイ18:27、18:32)
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罪が赦されるのはキリストの血を通してのみ=しもべはキリストの血によって赦された
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未信者が主に赦しを求め、それを得たにもかかわらず、依然として救われておらず、再生されていないということはあり得ない
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また、王はこのしもべを「赦された人」という事実に基づいて非難している
私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」(マタイ18:33)
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マタイ18章の“無慈悲なしもべ”は再生したクリスチャンである
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「こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。」(マタイ18:34)とは、再生されたクリスチャンに対して、将来行なわれる裁き(キリストの御座のさばき)の光景である

なぜなら、私たちはみな、キリストの裁きの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。(Uコリント5:10)

あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。(ヤコブ2:13)

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「種蒔きと刈り取り」入ってます・・・

クリスチャン古典ライブラリーにロバート・ガボット「種蒔きと刈り取り」が新たに公開されています。

R・ガボット「種蒔きと刈り取り」
http://www.geocities.jp/ogcclib/msg31.html

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2010年10月24日

霊の朝食・・・

最近朝はロイドジョンズ「一日一言」を読んで祈り、それから聖書を読むというスタイルになっています。

ロイドジョンズ 一日一言

ロイドジョンズ 一日一言

  • 作者: D.M. ロイドジョンズ
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本



・マーティン・ロイドジョンズ ウィキペディア

ここ数年間はオズワルド・チェンバーズの「いと高き方のもとに」が朝の定番となっていましたが、本が裂けてバラバラになったこともあって、しばらく本を休ませることにしました。

・オズワルド・チェンバーズ ウィキペディア

それ以前は、カウマン夫人の「荒野の泉」という本もよく使いました。「いと高き方のもとに」が“ダメ出し系”の本であるのに対し、「荒野の泉」は“励まし系”の本といえると思います。ですから、昔は必ず@「いと高き方のもとに」→A「荒野の泉」という順番で読むようにしていました。

「いと高き方のもとに」という“カミナリ親父”に叱られて凹んだあとは、「荒野の泉」という“母親”に優しくフォローしてもらう感じです・・・(^^ゞ

・「荒野の泉」ウィキペディア
・レテー・カウマン ウィキペディア

「荒野の泉」
CIMG0258.JPG

レテー・B・カウマン夫人
CIMG0267.JPG

それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。(Tテサロニケ2:7)

また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光に召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。(Tテサロニケ2:11〜12)

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