2010年07月25日

「証しすること」と「自分を表すこと」

先日、集会でウォッチマン・ニーの「淵が淵を呼び起こす」というメッセージを交わったのですが、以下はそのポイントをまとめたものです。おもに「証しすること」と「自分を表すこと」の違いを扱っています。天国に行って帰って来た体験が書かれた“証し本”が出版されるこの時代、耳を傾けるべきメッセージなのではないでしょうか。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。(マルコ4:5〜6)

<実を結ぶことのできない理由>

・岩地の特徴 ⇒ 根がないために枯れてしまう

・根とは「人の目に触れない命の部分」

・根がない生活とは浅薄な生活

・浅薄な生活を送るならば、他の人の深みに触れることはできない

<浅薄な生活とは>

@人の目に触れる部分が多くの割合を占める信仰生活 
A人の目に隠されている部分がないor少ない信仰生活


<クリスチャン生活の二面性>

@人の目から隠された生活の面(根)→ 下に向って成長(死)
A人の前に出て証しをする、語る面(葉)→ 上に向かって成長(復活)

                ↓
@の部分(根)によってAの実が決まる(浅薄な根⇒浅薄な実 深い根⇒深みのある実)

<根をなくす原因>

・根をなくす大きな原因は、根の部分をあらわにしてしまうこと=自分の霊的経験を話したい欲求に打ち勝つことができないこと(今日のクリスチャンの問題)
           ↓
私たちは証しを用いてでも、自己を表わしたい生き物である
           ↓           
私たちには自分の動機はわからない(Tコリント2:11)。御言葉の剣によって、無意識の領域に潜んでいる動機が明らかにされなければならない(ヘブル4:12)。

・「証しすること」と「自分を表すこと」は異なる

・十字架の死を通過することだけが、「自分を表すこと」から私たちを守る

<パウロとヒゼキヤ>

・クリスチャンとしての外面的な力=内側に秘蔵されている経験がどれだけあるか

良い例:パウロ(Uコリント12:1〜4)
悪い例:ヒゼキヤ(イザヤ39:1〜6)


・ヒゼキヤは自分の経験をあらわにしてしまったことによって大きな損失を被った
          ↓
ヒゼキヤが見せてしまった分=ヒゼキヤが失った分
          ↓
クリスチャンが「根をあらわにする時」、敵の攻撃にさらされることになる
            例:植物の根っこの部分をあらわにするなら、植物は枯れる

<注意点>

・証しをするためは、「話さないこと」を学ぶ必要がある(逆説的な真理)

・クリスチャンは「根を覆うこと」を学んで行くべきである

・自分の内側にある話したい肉の欲求に気づくこと

・集会や交わりにおける「証し」が「根の見せ合い」になっていないか注意すること
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2010年07月18日

大患難から外へと守られる

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。(黙示録3:10)

「地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時」とは大患難     
       ↓
原文の「守る」の後には「エク」という言葉がある
       ↓ 
ギリシャ語「エク」=「〜から外へ」(out of)の意味
         例:エクレシア = この世から外へと召し出された者たち       
       ↓
黙示録3:10の「守る」とは、大患難の中にあって守られることではなく、大患難から外へと守られることであると考えられる(※反論もあるようです)
       ↓
大患難前の携挙(or大患難前の死)

※注意

その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。(ルカ21:35〜36)

クリスチャンは大患難前の死を願い求めるべきではなく、大患難前に携挙されることを願い求めるべきである
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タグ:「終末」
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ブックオフで買った本+反省・・・

ブックオフの100円コーナーで捕獲した本です。
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ハワード・M・ア―ビン著「ペンテコステの出来事」(生ける水の川)
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いかにも信仰書といった感じの色使いの表紙。昭和51年に発行されたもののようです。
以下は背表紙の記載から

「本書は、ひかえめに、非公式に、しかもすぐれたやさしい書法で、読者に迫ってきます。ハワード・M・ア―ビン博士は、聖霊の賜物とその運動の理解にたいして、尽力をつくしてきました。・・・・本書では、もっとも一般的に誤解されやすい多くの問題について回答しており、ア―ビン博士の指導によって、聖霊のバプテスマを受けるのに、ちゅうちょしている多くの人々に感激のうちに神からのものとして受け入れ、その喜びを持つようにすすめてきました。」

「本書は、ひかえめに、非公式に、・・・・読者に迫ってきます。」という文が何だか笑えます^^。おもに異言を伴う聖霊のバプテスマについて書かれた本のようです。

私は異言で祈るクリスチャンですが、聖霊派でよく見かける、「ロロロと言ってみなさい」と勧めることによって、人を聖霊のバプテスマに導こうとする実行には疑問を感じます。
            ↓
牧師「聖霊にゆだねてラララ、ロロロと言ってみなさい」
信徒「ラ・・・ラ・・・ラ・・・ロロロ・・・リロリロリロロロ・・・・・」
牧師「はい!それが異言ですっ!あなたは聖霊のバプテスマを受けました!」


もし、これが異言や聖霊のバプテスマであるなら、ハナモゲラ語のタモリスキャットマン・ジョンも異言を伴う聖霊のバプテスマを受けたことになってしまうのではないでしょうかね・・・

チャールズ・スポルジョン著「ジョン・プラウマン談話 田舎牧師の直言」(燦葉出版社)
P1000179.JPG

2006年発行の比較的新しい本のようです。内容についてはネットにあったクリスチャン新聞の紹介記事を引用します。

http://jpnews.org/rock-hyrax/book/kako06.htm

「本書は、スポルジョンがジョン・プラウマン(耕す人の意味)という田舎牧師の仮面をかぶって、教会や、洗練された会話には無縁である大衆に語りかけている異色の本です。ユーモアに満ちた格言的な表現を用いて、生きる智慧(ちえ)について述べています」


ブックオフで買った本を一時的に収納している本棚があるのですが、その収納スペースも狭くなってきました(汗)。本を読破するペースよりも、本を買うペースのほうが早いようです・・・

買ったままで読んでいない本の収納スペース
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改めて本棚を眺めてみると、「こんな本持っていたのか」と思ってしまうものもありますね〜。
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↑サッカー関係本、野球関係本、新書の他、元チェッカーズ高杢氏のガン闘病本、いかりや長介自伝「だめだこりゃ」、大人になってからピアノに挑戦した人が「英雄ボロネーズ」「ワルツ・フォー・デビー」を弾けるようになったことを“証し”している本もあるようです・・・。

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↑本棚の二段目も内容はバラバラ・・・。信仰書に空手バカ一代、常総学院の木内監督の語録本、ストット著「今日における聖霊の働き」とジョン・バニヤン著「天路歴程(続編)」の間には「一生太らない体のつくり方」というダイエット本が・・・(苦笑)。そういえばそういうダイエット本に手を出したこともあったっけ・・・(遠い目)

「一生太らない体のつくり方」の本を手に入れた段階で安心してしまい、内容を実行するのを忘れていたようですあせあせ(飛び散る汗)(汗笑)。一生太らない体をつくって、ピアノで華麗に「ワルツ・フォー・デビー」を弾くクリスチャンになれたら最高なのですが、現実はなかなか厳しいようです・・・ふらふらあせあせ(飛び散る汗)


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