2010年04月30日

沈黙がまったく無意味に思えるとき

「初めは砂漠のように感じられる長い沈黙の期間があります。そのようなときにも、あなたがよみがえられたキリストの現存のうちに、あえてとどまるのです。沈黙がまったく無意味に思えるかもしれません。しかし、そこにこそ、勇気ある決断のときが到来するのです。

あなたが祈るとき、キリストに尋ねるかもしれません、『わたしから、いったい何を期待するというのですか』と。そして、キリストが多くをあなたに期待していることに気づく日が来るのです。

キリストがあなたに望まれることは、あなたが、人びとのために信仰の信頼をあかしする人になること。あなたが、キリストの現存を反映する鏡のようになること。」
ブラザー・ロジェ
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それはすでに祈り

「わたしたちの存在の深みにあることを、ことばを通して神に表現することは簡単ではありません。何のことばもなく祈る日々もあります。ただ単純にキリストのそばにとどまること、それはすでに祈りです。沈黙が祈りのすべてとなることもあるのです。」
ブラザー・ロジェ

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2010年04月28日

私たちの祈りがイエスを動かすのではなく...

「見よ。わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(黙示録3:20)

祈るとは心を開いてイエスをお迎えすることです。まず最初に、私たちの祈りがイエスを動かすのではないことを覚えたいと思います。そうではなくて、イエスが私たちを動かして祈らせてくださるのです。

まずイエスが心の扉をたたかれるのです。イエスが、私たちの心に入りたいと知らせてくださるのです。私たちの祈りは、いつも、イエスが私たちの心をたたいてくださったことの結果なのです。」
O.ハレスビー
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