2010年03月31日

霊的な局面から物事を見る

「パウロは初代のキリスト教会に向かって語りかける際に、こう告げた。
彼らが神の国に入るには、「多くの苦しみを経なければ」ならない、と(使徒14:22)。

もし私たちが、初代キリスト教会に対するパウロの教えをつかみとるならば、自分に何が起ころうと驚かされないはずである。実際、それらに驚かされる代わりに、ほとんど、それらを待ち受ける境地に達し、こう云いたい気分を感じる。

『もし苦難に遭わないとしたら、私のどこが悪いのだろうか? なぜ物事が、私にとってこれほど順調なのだろうか?』」
D.M.ロイドジョンズ
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十字架のキリストは、ユダヤ人には「恥辱」

しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、(Tコリント1:23)

「つまずき」と訳された言葉の原語は「恥辱」「不面目」「醜聞」の意味
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2010年03月27日

祈りが答えられないとき(2)

「わたしたちの罪ある性質そのものが、祈りの障害になるというのではありません。もしそうであるなら、神に答えられる祈りなどあり得ないのです。

祈りを妨げるのは、むしろわたしたちが罪の悔い改めも告白もせず、そこから離れようとしないことです。わたしたちは、神や人を悲しませてきた今までの行いを悔い改め、捨てなければなりません。

そして心から罪を悔い改め、十字架につけられた主イエスのみもとに来て、罪を人の前に告白しなければなりません。そのようにした時、神は再び恵み深くあられ、祈りに答えてくださいます。」
バジレア・シュリンク
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