2009年12月22日

この世は神との「通話圏外」の場所であるA

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(ヨハネ17:3)

神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。(Uコリント1:9)


携帯電話を使う場合、電池が切れたら充電することが必要になりますし、通話圏外の場所にいた場合はその場所から出る必要があります。

充電するのは何のためでしょうか?また、通話圏外の場所から出るのは何のためでしょうか? もっと言えば、そもそも何のために携帯電話を持ったのでしょうか?

それは電話をかけて相手と話すためです。私たちは「携帯電話を持つために」携帯電話を持つのではありません。「充電するために」充電するのではありません。「通話圏外に出るために」通話圏外に出るのではありません。これは当たり前のことです。

しかし、信仰の歩みになると、私たちはこの当たり前のことができなくなる傾向があるのです。

「永遠のいのちを持つこと」「新生したこと」「義と認められたこと」「聖霊の内住を得たこと」「聖霊に満たされること」「罪を告白して赦しを受けること」「この世から出ていくこと」等、これらすべては私たちが神と親密な交わりを持つためのものです(ヨハネ17:3)。

ところが私たちは「神と交わりを持つため」という目的から外れて、「永遠のいのちを持つこと」「聖霊に満たされること」「聖霊のバプテスマを受けること」「罪を告白すること」「この世から出ていくこと」自体を目的としてしまう傾向があります。これは携帯電話でいえば、「携帯電話コレクター」「充電が生きがい」「通話圏外探しが趣味」というマニアックな世界です。

永遠のいのちを持つこと自体、聖霊に満たされること自体、この世から出ること自体が目的になるのは、マニアックな宗教の世界です。携帯電話を持ったのは相手と通話するためだったはずです。充電したのも、通話圏外から出るのもすべては相手と通話するためでした。

「相手と通話する」という前提がないのならば、充電する必要も通話圏外から出る必要も生じません。これと同じように、「神と親密な関係を持つ」という前提がないのならば、聖霊に満たされる必要も、この世から出て行く必要も生じません。

「この世から出て行くこと」自体を追求すると宗教になってしまいます。宗教は「この世」のものです。クリスチャンは神と親密な関係を持つことを追求していけばよいのです。神との親密な関係に入り込んでくるものが、「この世」です。聖書の学び、祈り、賛美、奉仕、聖霊経験、クリスチャンの交わり等の良い事も「この世」になり得ます。
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2009年12月20日

この世は神との「通話圏外」の場所である@

携帯電話を使う方は経験あると思いますが、時々デパートのエレベーター内やトンネルの中から電話をかけようとしてもつながらないことがあります。携帯電話の画面を見ると「圏外」という表示が出ています。

その携帯を使って相手と通話するためにはどうしたらよいでしょうか? ただその通話圏外の場所から出ればいいのです。デパートのエレベーター内が通話圏外だったとすれば、エレベーターの外に出れば携帯画面の「圏外」表示は消えて、正常に相手と通話できるようになります。

電話がつながらなかった原因は、電話をかけようとした人が「通話圏外」の場所にいたことにあります(携帯電話間の通話の場合、相手が圏外にいることが原因となることもあります。これは神から世にとどまる私たちを見た視点と言えます)。携帯電話が故障していたからではありません。携帯の充電を怠っていたからでもありません。ただ携帯を持つ人のいた「場所」が悪かったのです。通話圏外の「場所」を出てしまえばすべては解決します。

反対に、完全に正常な携帯を持っていようが、十分に充電された状態の携帯を持っていようが、通話圏外の場所にとどまるなら、それらのことは無意味になってしまいます。

@「主を信じて永遠のいのちを持つ」とは、神と通話するための携帯電話を持ったということであり(ヨハネ3:3、17:3)、「主を信じる者に聖霊が内住すること」(エペソ1:13、エゼキエル36:26〜27)は、携帯の充電が完了しているということです。

A「クリスチャンが罪を犯すこと」は、携帯の電池が切れてしまうことです(イザヤ59:1〜2)。

B「神に罪を告白して赦しを受ける」(Tヨハネ1:9)「私の古い人はキリストと共に十字架につけられ、私は罪に死んだと認めること」(ローマ6:6〜11)は、携帯を充電機で充電することです。

C「この世から出て行く」とは、通話圏外の場所から出て行くことです。

@〜Bはみな個人的な問題(携帯電話の問題)ですが、Cは場所の問題です。@〜Bに問題がなくても、Cの問題が解決されないならばすべてが無意味となってしまいます。

クリスチャンはみな聖霊の内住を得ています。しかし、多くの場合、私たちは新約聖書に出てくる使徒たちのようではありません。彼らのような生きた力ある証しをすることができません。

それでは私たちは聖霊を受けていないのでしょうか? そうではありません。聖霊の量や質に違いがあるのでしょうか?そうではありません。その大きな原因は私たちが“通話圏外のこの世”にとどまっていることです。

その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。(ヨハネ14:17)

聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれています(ローマ5:5)。しかし、私たちが世を愛してそこにとどまっているなら、私たちのうちに御父を愛する愛はありません(Tヨハネ2:15)。

私たちのうちには聖霊が住んでいることに間違いはありませんが、この世は聖霊を見もせず、知りもしない“圏外”の場所です。私たちが個人として聖霊を受けていても、この世にとどまっているなら聖霊を知ることはできず、聖霊によってイエスの証人になることはないのです。この世にとどまっていることが原因であれば、聖霊充満(充電)を求めるのではなく、この世(通話圏外)から出て行かなければなりません。

種まきのたとえ(マタイ13章)には、道ばた、岩地、いばら、良い地の4つの状態の土地がでてきますが、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶのを最終的に阻んでいるのは、いばら(=この世の心づかい、富の惑わし)であると言えそうです。

「この世」は神との通話圏外の場所なのです。私たちがそこにとどまっているならば、他のすべてに問題がなかったとしても、神を知ることはできず、実を結ぶこともないのです。

事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。(Tコリント1:21)

また、いばらの地に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。(マタイ13:22)


携帯電話で電話をかけようする人は、通話圏外の場所に気づくことができます。そして通話圏外の場所から出て行きます。そこから出て再び電話をかけます。同じように、神ご自身と関係を持とうとする人は、通話圏外の「この世」に気づくことができ、そこから出て行きます。この世から出て神と親密な関係を持ちます。

絶えず神ご自身と親密な関係を持とうとすることは、私たちをこの世から救います。神との関係が親密になればなるほど、私たちは新たな「この世」に気づくことができるようになり、「この世」から出れば出るほど、神との関係はますます親密になっていくのです。
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2009年12月19日

「この世から出ること」を他の事で代用しない

この世はサタンが支配しており、神の敵であり、神の御前に罪に定められています(Tヨハネ5:19、ヤコブ4:4、Tコリント11:32)。主が再臨して王として治めるまでは、この世は良くなりません。(この世が良くなったら主が再臨すると信じているクリスチャンもいますが、私の立場はそれではありません)

主を信じて永遠のいのちを持ったのは、滅びゆくこの世を出るためです。
しかし、私たちは「この世から出ること」を他の事で代用する傾向があります。よくあるのは「この世を出ること」に代えて、この世を改善しようとすることです。

わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。

なぜなら、わたしは人をその父に、娘を母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに家族の者がその人の敵となります。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。(マタイ10:34〜39)


私の場合、「この世を出ること」を“とりなしの祈り”で代用していたことがあります。家族、親類、周囲の人々、日本の救いを日々祈っていたのですが、祈っているうちに自分の動機が明らかになってきました。

それは「今の環境ではクリスチャンである『自分』の肩身が狭い。多くの人々が救われることによって、『自分』に不利な状況は改善され、『私』は肩身の狭い思いをしなくてもよくなる。『私』の理解者も増える^^」という動機でした。人々の救いのために祈ること自体は正しかったのですが、その動機は間違っていたのです。

私の祈りの動機は「この世から出て行く」のではなく、「この世を祈りによって改善して、改善された世に私がとどまり続ける」というものでした。これはノアが「主よ。どうか大洪水が起こらないようにしてください。そうすれば人々から誤解されずに済みます。」と祈るようなものです。私はエジプト国内でいけにえをささげようとしていたのです。(出エジプト8:25)

また、会員となっていた教会から出ることを考え始めた時も、当初はその考えを否定し“愛のあるクリスチャン”らしく教会のために祈っていました。「今の場所にとどまって、祈っていけばいいじゃないか」と思いました。自分の考えが間違っている可能性も大いにあるので、祈りの中で自分の間違いを知ろうともしました。これらのことは間違っていませんし、今でも他の人にはこのようにすることをアドバイスすると思います。

しかし、その中でわかったのは「常に教会のために祈るべきだし、祈りの中で自分の間違った考え方や視野に気づいていく必要はある。それらはみな良い事である。しかし、正しい事をしているからといって、世にとどまり続けていいわけではない」ということでした。(ここでの「世」とはおもに慣れ親しんだ環境・人間関係の意味です)

この世は私たちが改善してとどまる場所ではありません。また、礼拝する場所でもありません。この世は私たちが出て行く場所なのです。(但しTコリント5:10〜13に注意)

神の御前で救われるために必要なのは信じることだけですが、この世から救われるために必要なのは「そこから出て行くこと」なのです。私たちは信じる必要があると同時に、離別する必要もあるのです。

信仰の父であるアブラハムの信仰生活もカルデヤのウルから出て行くことから始まりました(使徒7:2)。神はアブラハムに「あなたの土地と親族を離れ、わたしの示す地に行け。」と言われました(使徒7:3)。しかし、アブラハム(アブラム)は父テラと甥のロトいっしょに出かけており、親族と離れていませんでした(創世記11:31)。この後、テラとの死別、ロトと離別するごとにアブラハムに対する神の召しが明確になっていきました。(創世記12:1、13:14)

神ご自身と神の召しを知っていくために必要なのは、私たちが主を信じて、とどまるべきではない場所・関係から出て来ることです。私たちがこの世にとどまりながらする祈りや聖書の学び、礼拝はすぐに限界が来てしまいます。

「具体的にどのように離別するのか」については、一概には言えません。ある時はある環境・場所から物理的に出ることが必要なりますし、ある時はその環境・場所にとどまった状態で内面的に離別することができる場合もあるでしょう。

しかし、アブラハムが経験した物理的な場所の移動・人間関係の離別をすべて内面的な離別の型とすることはできないと思います。現在の私たちも物理的にある場所から出て来ることを求められる場合はあるでしょう。また、離脱・離別すべき場所は、聖書のことばに基づいた神ご自身との個人的な関係の中で知るしかありません。

信じるのは自分の心の中だけでできますが、離別するのは周囲の人を巻き込みます。心で信じることは犠牲を払いませんが、離別することは犠牲を伴います。そのため私たちは自分がいるべき場所・関係から出て来ることを“他の良い事”で代用してしまう傾向があるのです。

クリスチャンはこの世から出て行き、向こう岸からこの世のために祈ることが必要なのです。神の側に立って祈ること、それがとりなしです。
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