2009年11月27日

パン種は「生モノかどうか」「種の状態か実の状態か」で判断する(パン種とは何か?A)

例えば、あなたがレストランでカレーライスと野菜サラダを注文したとします。注文したカレーライスと野菜サラダがテーブルに運ばれてきました。

「いただきます」

カレーライスを口に入れて噛んだ時に「バリッ」という音がしました。それは無茶苦茶硬かったのです。

「このカレーは何!?」

カレーライスを見ると、ライスは炊いてない状態の生米であり、ジャガイモも人参、玉ねぎも生のまま、肉にも火が通っていませんでした。これでは食べられません。

また、野菜サラダとして運ばれてきたお皿の上には野菜らしきものは何ものっておらず、種のようなものにドレッシングをかけただけの状態でした。ひどいものです。

怒ったあなたは、店の責任者を呼び寄せ文句を言います。「いったいこのカレーとサラダは何ですか!客を馬鹿にしているのですか!」

しかし、驚いたことに店の責任者は「私はあなたの注文通りにカレーライスと野菜サラダを出しました。お米も人参、ジャガイモ、玉ねぎ、肉もちゃんと入っています。いったいどこが悪いのですか!サラダのお皿の上の種はきゅうりとトマトの種です。ドレッシングもかかっています。だから野菜サラダですっ!いったいどこが悪いのですか!」と逆ギレしたのです。

あなたはこの責任者の言い分に納得できるでしょうか? 納得できる人はいないでしょう。
 
確かにカレーライスにはお米も野菜も肉も入っていましたが、それらには火が通してありませんでした。お米、野菜、肉自体が悪かったのではなく、それらが生の状態で出されたことが問題だったのです。野菜サラダのトマトときゅうりも硬い種の状態で出てきたことが問題でした。

レストランの責任者には「生モノか火を通したものか」「種の状態か実の状態か」という基準が欠如していました。彼は「牛肉、野菜入り」であればすべて正しいと考えていたのです。

レストランの世界でこのような事件は起こりせんが、クリスチャンの世界では結構頻繁に起こります。

「私は神様のためにしているのに、どこが悪いのですか!」
「あなたは伝道することが悪いといわれるのですか!?」
「あなたは愛を否定するのですか!?」
「私は正しくやっているのに!」
「私たちは聖書的です!」等の“逆ギレ”を聞くことがよくあります。

愛、寛容、親切、善、祈り、聖書の学び、伝道、奉仕、聖書的であること自体は良いことです。しかし、それらの良いことも“生の状態”や“種の状態”のままでは神に受け入れられません。私たちが「生カレーライス」と「野菜種サラダ」を受け入れられないのと同じです。たとえ最高級の米、肉、野菜を使用していたとしても、それが「生」「種」の状態であるなら食べられません。無理に食べれば体を壊してしまいます。

愛や伝道、奉仕、善行、聖書的であること自体を否定しているのではないのです。「その愛は火を通した愛ですか? 地に葬られて殻が破られた結果としての奉仕なのですか? その動機は照らされたことがありますか? その聖書的な主張は終わらされたことがありますか?」が問われているのです。

パン種は善悪の基準ではなく、「生モノか火を通したものか」「種のままなのか実なのか」すなわち、十字架の基準で判断する必要があるのです。「善か悪か」「聖書的かどうか」よりも重要な基準は「復活のキリスト」です。

善悪の基準はわかるが、これらの「生モノか火を通したものか」「種なのか実なのか」「復活のキリスト」という基準がよくわからないのであれば、神に近づきましょう。御言葉である神ご自身だけが、その基準をあなたに教えることができるのです。(ヘブル4:12、ヨハネ16:8〜11)

愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。
あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。(Tコリント15:36)

御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラテヤ5:22〜23)


牛肉、野菜入りは正しい。しかし・・・
ボンカレー 牛肉 野菜入り.jpg
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
web拍手 by FC2
posted by クマ郎 | Comment(0) | 聖書を読んで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月24日

「パン種」とは何か?

イエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」(マタイ16:6)

イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」(マルコ8:15)


新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。(Tコリント5:7)

集会で特に注意を払う必要があるのは、集会にパン種が持ち込まれないようにすることです。

聖書の多くの箇所で「パン種に注意しなさい」「パン種を取り除きなさい」と書かれています。聖書の中で「パン種」は常に悪いものの象徴として書かれています。

聖書の「パン種」には罪、高慢、悪意、不正、偽りの教え、偽善、律法主義、合理主義、世俗主義等、様々な意味があるようですが、それらすべてに共通しているのは「生モノ」であるということになるでしょう。

「生モノ」とは火を通していないもの、すなわち十字架の死を経ていない「生まれながらの人間の、血肉から出たもの」です。

十字架の死を通っていない「生モノ」には、罪・高慢・悪意・不正と呼ばれる「いかにも悪そうな生モノ」もあれば、愛・寛容・親切・同情・喜び・平安と呼ばれる「いかにも良さそうな生モノ」もあります。また、祈り・聖書の学び・奉仕・伝道・献金・断食・リバイバル運動と呼ばれる「献身的に見える生モノ」も存在します。このブログの記事も「生モノ」かもしれません(冷汗)。

クリスチャンは、パン種を善悪の基準だけで判断すべきではありません。善悪の基準の「悪」だけがパン種なのではありません。

パン種は「十字架」を基準として判断すべきです。天然のいのちに属するものであるか、復活のいのちに属するものであるかを基準とすべきです。

十字架の死という火を通っていない「生モノ」が教会に侵入しないようにすることが、パン種に注意することであると言えます。

この話をクリスチャンにしても通じないことが多いのは、すでに教会全体がパン種によって大きくふくらまされているからかもしれません。

イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」(マタイ13:33)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
web拍手 by FC2
posted by クマ郎 | Comment(2) | 聖書を読んで | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

クリスチャン生活は難しくない

クリスチャンになるのは決して難しいことではない。

クリスチャン生活も決して難しいことではない。

それらは難しいのではなく、不可能なのである。

人がこのことを悟るまでは、本物のクリスチャンになれないし、本物のクリスチャン生活は始まらないであろう。

キリストの十字架の死と復活によって、神はそのことを私たちに示しておられる。

地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。(イザヤ45:22)
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村
web拍手 by FC2
posted by クマ郎 | Comment(2) | 交わり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
タグクラウド
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。

クリスチャンウェブリング
前へ | ホーム | ランダム | 次へ